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福島地方裁判所白河支部 昭和29年(ワ)101号 判決 1961年1月26日

原告 哲一こと岡部哲市 外一四名

被告 原義勝 外一五名

主文

被告等は別紙採草地内に立ち入つたり、採草したりしてはならないし、原告等が別紙採草地で採草するのを妨害してはならない。

原告等その余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告等の連帯負担とする。

事実

原告ら訴訟代理人は主文第一項同旨と「被告らは原告らに対し各金五、〇〇〇円及びこれに対する昭和二九年一〇月二二日より完済まで年五分の割合による金員を支払え、訴訟費用は被告らの負担とする」との判決及び金員支払部分につき仮執行の宣言を求め、その請求原因として、

一、原告らは訴外岩本菊太郎、原亀寿、須藤丁雄、岡部春吉、原寛、原宣夫、原和子、原カノ、金沢ヨシヱら九名と共に別紙目録記載の土地に対する採草権を有するものである。而してこの採草権とは農地法第一八条にいわゆる採草放牧地の賃借権、または永年慣行により取得してきた農地法施行令第七条第一項の採草権、若くは同条第三項の採草を目的とする入会権であり、仮にそうでないとしても高野村富岡牧野利用農業協同組合の総会で与えられた採草権をいうのである。

二、原告ら及び前示九名の共有者(以下単に原告ら二四名と称する)の本人またはその祖先が本件採草権を取得したのは、遠く明治四二年頃のことであつて、当時原、被告らの居住部落である東白川郡高野村(現在棚倉町)大字小爪部落では、既に本件採草地を含む同所字山下所在の国有林60い全ろ牧野四五町七反一畝一二歩を借受けて採草してきた(形式上は一ケ年と定め毎年更新してきた)のであるが、これに隣接する大字富岡部落には採草地がなかつたので、同じ村内にある両部落は協議の上、小爪部落はその頃から富岡部落に対し右牧野の南方部分、即ち別紙目録記載の採草地二三町八反歩(以下単に本件採草地と称する)を転貸することゝなり、爾来富岡部落は採草料として一ケ年金一七円五〇銭を小爪部落に支払つて来たのである。その後大正五年頃に至り富岡部落は本件採草地を直接営林署より借受けることにつき小爪部落の承諾を得たので、爾来直接営林署に採草料を支払つて本件採草地を借受け、使用収益を継続してきたものである。

三、かくて昭和一〇年頃における本件採草地の採草権は原告続之助の先代菊池熊吉、原告万吉の先代鈴木勝太郎の外、原告等(菊池続之助、鈴木万吉を除く)と訴外岩本菊太郎、原亀寿、須藤丁雄、岡部春吉、原寛、原宣夫の先代原徳之助、原和子の先代原治平、原カノの先代原彦一及び金沢ヨシヱの先代金沢信次等二四名に帰属していたので、同年これ等二四名において爾後の五ケ年間における管理方法として全区域を甲、乙二区に分け、更にこれを各二四区に分割した上甲、乙各一ケ所づつ組合せた二四組につき二四名でせり売をして各自の採草区域を定めたりして使用収益をなし、爾来これを継続して来たものであるが、その後鈴木勝太郎の隠居により昭和一三年一一月二日原告万吉が、鈴木熊吉が昭和一九年四月一九日隠居して原告続之助が各これを相続してこれらの権利義務を承継したものである。

四、然るに原告ら及び被告らを含む四三名を組合員とする高野村富岡牧野利用農業協同組合は昭和二六年一一月二日創立総会を開き、同月一〇日福島県知事の設立認可を受け、同年一二月一〇日設立登記を経由したものであるが、昭和二七年初め頃本件採草地の外字寺の前所在の牧野四町九反八畝三歩につき自作農創設特別措置法による売渡しを申請したので、同年八月一日福島県知事よりこれが売渡通知を受け、同年一〇月一三日その売渡代金一万三六七七円を支払つたのである。

五、而して前示組合がこれら二筆の採草地を買受けるに当つては、組合員の全部は本件採草地の採草権は従来どおり原告等二四名において保有することを承諾し、これを条件として組合名義で買受けたものであつて、前示売渡代金や買受費用の全部も原告等二四名は一人当り金六六二円六四銭を支払い、被告等を含む一九名は一人当り金四四円四四銭を負担したに過ぎないのである。従つて前示組合が昭和二八年四月二五日大字富岡所在の蔵光寺で総会を開いた際も組合員総数四三名の内四一名出席し、議長を訴外鈴木吉次として議事を審議したのであるが、当時「本件採草地の採草は従前通り原告等二四名においてなすこと及び被告らを含む一九名は字寺の前所在の牧野四町九反八畝三歩とこれに隣接する約二〇町歩の牧野中八町一畝二七歩を加えた約一三町歩につき採草すること」等につき満場一致異議なく可決したものである。

六、ところが前示組合の組合員中原告ら二四名を除く一九名中の被告らはいずれも原告ら二四名方から分家したか、或は他の部落から入植した血気盛りの者である関係上、本件採草地が前示組合の所有に帰した後は、被告らにも採草の権利ありと主張し、昭和二九年五月頃集団して本件採草地に侵入して、原告らの制止にも拘らず集団的威嚇を以て数日間に互り全部採草して自宅に持ち帰つたものであつて、右は明らかに被告らが共同で不法に原告らの採草権を妨害したものであることは勿論、将来においても此の挙に出ずべきことは明らかである。

七、よつて被告らに対し本件採草地への立入禁止とこれが妨害排除を求め、且つ被告らの不法行為によつて原告らの蒙つた損害の賠償を請求する為本訴に及んだと陳述し、仮に原告らに本件採草地の採草権が認められないとしても、原告らは本件採草地の所有者たる前示組合の組合員として、被告らの集団的不法行為に対し組合財産保全のため民法第二五二条但し書に基き本訴を提起したものである。

と述べ、証拠として甲第一乃至第二六号証を提出し、証人鈴木芳太郎、五江淵純良(いずれも第一、二回)原亀寿(第一ないし第四回)武藤謙次、武藤武夫、岩本菊太郎、須藤丁雄、岡部春吉、鈴木吉次、原宣夫、鈴木春次、原武雄(第二回)金沢七郎の各証言、検証(甲第二四号証のそれも含む)鑑定人荻野栄二の鑑定の結果及び原告原啓介(第一、二回)金沢金太郎各本人尋問の結果を援用し、乙第一〇号証の成立は不知、第一一、一二号証は証明部分の成立を認めるがその余の部分の成立は知らない。爾余の乙各号証の成立は認めると述べた。

被告ら訴訟代理人は「原告らの請求を棄却する、訴訟費用は原告らの負担とする」との判決を求め、原告ら主張の請求原因事実に対し次のとおり述べた。

第一、二項中、原告ら主張の頃大字小爪部落が大字富岡部落において直接本件採草地を営林署より借受けることを承諾した結果、爾来富岡部落は直接営林署に採草料を支払つて本件採草地を借受けて来たことは知らないがその余は否認する。

第三項は知らない。

第四項は認める。

第五項中、前示組合が昭和二八年四月二五日蔵光寺で総会を開き、組合員四一名出席して鈴木吉次議長の下で議案を審議して、その内の一部議案を可決したことは認めるが、その余は否認する。

第六項中、被告らが原告ら二四名方から分家した者や他部落から入植した者であること及び被告らが昭和二九年五月本件採草地において採草したことは認めるが、その余は否認する。

第七項は否認する。

本件採草地は原告ら主張の日前示組合が自作農創設特別措置法第四一条に基き、政府から売渡を受けたものであるから、仮に原告らが従前何等かの権利関係または利用関係を有したとしても、前示組合に対する売渡しと同時にそれらの関係は消滅したものというべく、従つて前示組合の組合員四三名は平等の割合で利用する権利があるものである。

証拠として、乙第一ないし第五号証、第六号証の一、二、第七号証、第八号証の一、二、第九乃至第一二号証を提出し、証人渡辺謙次(第一、二回)藤田竹治郎、緑川政雄、原吉蔵、原武雄(第一回)の各証言及び被告原義勝(第一ないし第三回)原光次(第一、二回)原秀一、鈴木惣次、金沢大治各本人尋問の結果を援用し、甲第七ないし第一一号証、第一八、二〇、二一、二二、二六各号証の成立を認め、第一九、二三、二四各号証の成立を否認し、爾余の甲各号証の成立は知らないと述べた。

理由

第一、原告ら二四名が本件採草地につき原告ら主張のような採草権を有するかどうかにつき先ず審究する。成立に争のない甲第七ないし第一一号証、第一八号証、第二〇ないし第二二号証、乙第一、九号証、証人武藤謙次(第一回)の証言によつて成立を認める甲第一ないし第六号証、証人岩本菊太郎の証言によつて成立を認める甲第一二号証、原告原啓介本人尋問の結果により成立を認める甲第一三、一九号証、証人須藤丁雄の証言によつて、成立を認める甲第一四号証、証人岡部春吉の証言によつて成立を認める甲第一五号証、証人原亀寿(第一、二、四回)の証言によつて成立を認める甲第一六、一七、二三、二四、二五各号証、証人武藤武夫、五江渕純良、鈴木芳太郎、渡辺謙次(以上いずれも第一、二回)原亀寿(第一ないし第四回)武藤謙次、岩本菊太郎、岡部春吉、須藤丁雄、鈴木吉次、原宣夫の各証言に原告原啓介(第一、二回)金沢七郎、金沢金太郎、鈴木春治各本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すると次の事実が認められる。

一、東白川郡高野村(現在は棚倉町)大字小爪部落では遠く明治時代から本件採草地を含む同所字山下国有林60林班い全ろ牧野四五町七反一畝二二歩を所轄営林署より借入れて採草して来たが、右小爪部落に隣接する大字富岡部落には採草地がなかつたので、明治四四年頃から右牧野の内南方部分に相当する本件採草地を小爪部落より転借し、爾来富岡部落民が入会つて採草を継続して来たものであること及び当時の富岡部落の住民は大字富岡区内に居住する世帯主で原告ら二四名の本人またはその先代ないし先々代であつたこと。

二、その後大正四年頃に至り富岡部落は小爪部落の承諾を得て直接本件採草地を営林署より借受けることゝなり、爾来採草料も営林署に直接支払つて採草してきたものであつて、営林署における事務処理の都合上、毎年借受申込書を提出するを例とはしたが、原告ら二四名(本人またはその先代ないし先々代)からなる富岡部落居住の世帯主たる農民のみが本件採草地につき排他的に採草する権利を有していたものであること、従つて右は入会権ではないが、いわゆる債権的入会権に類似する一種の賃借権ともいうべきものであつたこと。

三、然るに自作農創設特別措置法の施行に伴い、関係行政庁はこれを関係農民に売渡すことを企て、営林局より仙台農地事務局に所属替をした結果、本件採草地は東白川郡高野村大字小爪字山下一七一番の二、原野二三町八反歩となつたものであるから、その売渡計画を樹立するに当つては、従来ここを採草地としていた原告ら二四名に売渡すか、然らざれば原告ら二四名との賃貸借を解約する等して原告ら二四名との関係を調整すべきであるに拘らず、これらいずれの方法をも採らず、原告らを含む売渡計画樹立当時における大字富岡地区居住の農民四三名をして牧野利用豊業協同組合を組織せしめ、これに売渡すことゝして指導したこと及びその結果、昭和二六年一一月一〇日頃高野村富岡牧野利用農業協同組合が成立し、同年一二月一〇日これが設立登記を経由したものであつて、原告らは本人またはその農業経営を承継すべき子弟名義で組合員となつているものであること。

四、その後間もない昭和二七年初め頃前示組合が本件採草地の売渡申請をなすに当り、右組合の組合員全部を会員とする富岡部落居住の世帯主を以て構成する富岡区会は集会を開いて協議の末、本件採草地は従来どおり原告ら二四名が採草し、被告らを含む一九名の組合員は同時に売渡しを受けることに予定されている字寺の前六六四番所在の原野四町九反八畝三歩の外、その隣地の原野中八町歩計約一三町歩から採草することを異議なく決定したものであること。

五、そこで昭和二七年初め頃前示組合は、福島県知事に対し本件採草地等の売渡申請をなし、同年八月頃これが売渡令書の交付を受け、同年九月頃売渡代金一万三六七七円を支払つたものであるが、当時これと同時に売渡しを受けた寺の前六六四番原野の買受代金との合計金一万六二一二円及び諸費用金五六円四〇銭につき、前示組合員全部を包含する前記富岡区会は昭和二七年九月二日殆んど全員出席の下に「本件採草地は従来どおり原告ら二四名これを採草し、寺の前六六四番原野等は被告らを含む一九名が採草すること」を可決して、これが買受代金等の分担額を決定し、それに基き原告ら二四名は一人当り金六六二円六四銭を支払い、爾余の被告らを含む一九名は一人当り金四四円四四銭づつ支払つたものであること。

六、前記組合は昭和二八年四月二五日頃大字富岡所在の蔵光寺において総会を開き、殆んど全部の組合員が出席した上前二項の区会における決議事項を議題として、本件採草地等の管理方法につき改めて協議した結果、原告ら二四名は従来どおり本件採草地から採草し、被告らを含む一九名は字寺の前六六四番原野及びこれに隣接する約八町歩の原野から採草することに満場一致で可決確定して、原告ら二四名に本件採草地からの採草権を与えたものであること、従つてその後昭和二九年五月一六日及び同年七月七日の二回に互り、前示組合が総会を開いた際も前記昭和二八年四月二五日の総会における決議を変更しようとしたものがあつたけれども、結局既に決定したものであることを理由に取上げられなかつたものであること並びに原告ら二四名に特段の利益を与えた前示決議は売渡計画樹立当時施行されていた農地調整法第一四条の二、第八条(その後の農地法第一八条)によつて原告ら二四名の有する採草権を承認した結果の当然の措置であつて毫も違法ではないこと。

七、かくて昭和二八年度中における採草は前叙決議による採草権付与の趣旨に従い、原告ら二四名で採草したのであつたが、昭和二九年五月頃被告らは原告ら二四名の意思に反して本件採草地に侵入して採草するに至つたので、原告らは仮処分を得てその後の被告らによる採草を禁止したものであること。

証人渡辺謙次(第一、二回)原武雄(第一回)藤田竹治郎、緑川政雄、原吉蔵の各証言及び被告原光次(一、二回)原義勝(第一ないし第三回)原秀市、金沢大治、鈴木惣次各本人尋問の結果中右認定に反する部分は採用し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

してみれば原告らは本件採草地につき採草権を有すること明らかであつて、被告らはたとい前示組合の組合員であるとしても、採草権を有しないものといわねばならない。

被告らは本件採草地は前示組合が自作農創設特別措置法第四一条によつて売渡しを受けたものであるから、売渡しと同時に原告らの採草権は消滅したと主張するけれども、前示組合が売渡しを受ける前の原告ら二四名の採草権が賃借権類似のものであつたことは前叙認定のとおりであつて、原告ら二四名は当時施行されていた農地調整法によつて登記がなくとも所有権を取得した第三者に対抗できるものであつたのであるから、賃貸人の立場にある農林関係の行政庁が、農地調整法の規定に反して原告ら二四名の採草権を故なく侵害する結果となる指導や処分を行つたとは到底考えられないのみならず、前示甲第二〇号証に弁論の全趣旨によれば、当時関係の行政庁は原告ら二四名を含めた牧野利用農業協同組合に売渡すときは、原告ら二四名の農地調整法上有する権利を害することなく円満な調整を図り得ることを予期して、原告ら二四名(その農業経営を承継すべき家族を含む)が組合員となることは勿論、理事の全部は原告ら二四名中より選任する前示組合を組織せしめ、これに売渡したものであることが窺われるのであるから、原告ら二四名を除外した第三者に売渡した場合とは異り、所論の売渡しによつて原告ら二四名の採草権が当然に消滅したということはできないし、仮にそうでないとしても、前示組合は昭和二八年四月二五日の総会で原告ら二四名に対して本件採草地から採草する権利を附与したことは前顕認定のとおりであるから、被告らの右主張は到底採用することはできない。

以上の次第で、被告らに対し本件採草地への立入と採草の禁止及び原告らにおいてなすべき採草に対する妨害の排除を求める原告らの請求は正当として認容すべきである。

第二、次に原告らの損害賠償請求の当否につき案ずるに、被告らが昭和二九年度における採草期に本件採草地から採草したことは被告らの認めて争わないところである。しかし証人原亀寿(第一回)の証言に原告原啓介(第二回)本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すれば、昭和二九年度の採草期における採草は被告らのみではなく、原告らも共になしているものであることが認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はないのであるから、被告らのなした採草量がいくらで、原告らが何程の採草をしたかにつき肯認すべき資料はないのである。してみれば本件は結局被告らの原告らに与えた損害の数額はこれを算定することができないものというべく、原告らの被告らに対する損害賠償の請求部分は失当として棄却を免れない。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 檀崎喜作)

採草地目録

東白川郡棚倉町大字小爪字山下一七一番の二

一、原野二三町八反歩

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